冗長

Daigon/HAKOLIEN<椅子のある部屋>出展作品

 とても暑かった。私の部屋は四畳半で、古い木造のアパートの一室。日中と比べれば暮れは涼しいが、赤く燃え上がるような夕焼け空を見ていたら決して涼しさは感じなかった。
私の部屋は赤く染まり蜩の鳴き声が部屋を満たす。部屋の隣を通る線路に電車が通る。そして私の部屋は小刻みに振動して、ガラスの木戸はガタガタと震える。
それらの音を聴き現象に目をくばるたびに、私はなぜか人生に絶望するかのように文机の前でうな垂れた。
ひたいからつたって、顎から落ちていく自分の汗は、白紙の原稿用紙を滲ませた。それも段々と滲みが乾いていく。なにもかかれてないにも関わらず無性にだめな筆をとったような気がして、私は原稿用紙をまるめて放り投げた。
部屋の隅にぶつかり畳にむなしく転がる音がした。後ろは振り返っていない。ただ、そうあってほしかった。

「……私に、きっかけがあれば。私には、才能がないのか……」

まるで誰かに話しかけるように、おちかけていた眼鏡を戻し、窓の外へ目をやった。擦りガラスには自分の顔はうつらず外の赤色に語りかけていた。
私は嫌気がさして、どさっとうしろに倒れこみ、畳に散らばった原稿用紙の上に寝ていた。こんな、嫌な世界はやく抜け出してしまいたい。

 気がつくと、夜だった。部屋のなかは真っ暗だったが、電車の振動で目がさめた。部屋は電気がとめられている。
しばらく部屋の暗い場所をじっと見つめて、目がなれはじめたところで起き上がった。立て付けの悪い扉は鍵もしまらない。
外へでて、そのまま階段をおりていった。近くには飲み屋街がある。よれて汚れたシャツに擦り切れたズボン。みすぼらしい姿だがポケットにはシワシワになっている百円札が一枚入っていた。
家賃も滞納し続けて、もう払える余力もない。なにか有名な文学賞がとれれば10万の賞金が貰えるらしいが、狭き門なうえに労力は凄まじい。それならば汗水垂らして働いたほうがいい。
だが、その気力もなかった。今はただ酒を呑んで現実から目を背けたかった。自然とまわりの人間は私を避けていく。
相当、おかしい奴だと思われているのだろう。しばらく歩くと大通り沿いに立ち並ぶ居酒屋で、一番薄汚い暖簾を掲げている焼き鳥店をくぐった。

「らっしゃい」

いつに洗ったかわからない白い肌着を着た恰幅のいい店主が、油ぎった額から汗を垂らしながら無表情で出迎えた。
カウンターには既に騒いでいる仕事終わりのおっさんで溢れていた。私は奥の座敷にあがり、薄く湿った座布団にすわる。
無言で店員のおばさんが水をおいて、こちらを見てきた。銘柄もかいていない焼酎とかかれたものと、ハツを1本頼んだ。
おおよそ持ち金はここで出ていかせる予定だった。店内の焼き鳥の煙。むせ返るような騒ぎ声と蒸し暑さ。鈍る思考はさらに鈍っていた。
少ししてハツと焼酎が乱暴に机に置かれた。私は飢餓に苦しむかのように半分ほど一気に焼酎を飲み、ハツを貪った。久しぶりの酒で、すぐに酔いがまわってきたことを理解した。何もせず、ぼうっと虚空を眺めていた。
まわりの騒音が耳鳴りに変わるころ、勢いよく扉をあけて一人の客が入ってきた。夏場だというのに、深い紅色のネクタイをしめて、黒色のかっちりとしたスリーピーススーツを着ている、背の高い彫りの深い壮年の男だった。
到底この店には似つかわしくない姿に、客一同騒ぐのをやめていた。

「席、空いてますか?」

汗ひとつ垂らさない男の爽やかな顔は、店主をさらに無言にさせていた。男はカウンターの椅子をたぐり私の横に座った。私はその男を凝視していた。

「……君が一人みたいでしたから。いかがですか。ご一緒に一杯」

知らない男からの申し立てに私は怪訝そうな顔をしていたのだろう。男は私にたいして、苦笑いを浮かべながら目を細めた。

「恥ずかしながら、私はいま一緒に飲む相手も孤独なのですよ。奢りますから私の話でもきいてはくださいませんか」そういうと、男は店員を呼んで、手当たり次第に焼き鳥と、ビール瓶を一本頼んだ。たくさんの注文と不釣り合いな客の登場に、無愛想な店員もどこか下衆な笑みを浮かべていた。
酔いもすっかり覚めて、また酔いを戻したい私にとって、自分の金を浪費せずに飲み食いできるなんて夢のような話だった。

「遠慮しないでください。なんなら、あなたのお腹がはち切れても大丈夫ですよ。責任をもちますから」

少し堅いゴツゴツとした手で私の肩を優しくポンポンと叩いた。華奢な私の身体はゆらゆらと揺れた。男から漂う気品と男らしさに私はどこか気を許していた。
タイミングを図ったかのように店員が焼き鳥とビール瓶を引き連れて、机の上に並べていった。男は足を組みこちらに笑顔を向けていた。

「相席させて頂いた仲です。私は小説家をやっている……そうですね。酒席で身分を明かすのは無粋なので、世間での通り名は別なのですが、本名は関といいます。君は?」
「私は内藤といいます。私は……」言葉に詰まり、店内の騒音に反して、二人の間に無言の時間が流れた。関は小説家、おおよそ、見た目から察するに、有名な小説家であることに間違いはなかった。私も小説家を目指しているが、私はこの格差に卑しくも妬んでいた。
「若いからまだまだこれからというところかな?」

鶏皮を頬張りながら関は微笑んでいた。黒々とした目の奥には、やつれた白い肌の自分がうつっていた。呆然としている自分を見て、関は真顔になり、私の頭を優しく撫でた。私は、だれかに体を許すことはいままでなかったが、崩壊した現実が非現実のようになっているなかで更なる非現実を味わっている私の感情は、目から滴る涙で現れていた。関はそのまま優しく私を撫でていた。私は私自身がわからない。

「辛いのですね……髪もこんなに傷んでいるじゃないか。ちゃんとした場所で寝ているんですか?」

私は無言で俯いていた。関と私以外はチラチラとこちらに目配せをしていた。今まで自分に目を向けるなんてこと一切なかったが、私ではなく関に気をかけていることは明白だった。

「……内藤クン。君はまるで昔の私だ。君は私みたいだ」

顔を少しあげた私は、慈恵に満ちた関の目をみて、そのまま広い胸板に顔を埋めた。ほのかに香水のにおいが鼻から顔に巡っていた。

「寂しいのですか?私の中でよければ、いくらでも甘えなさい。今この場において、私の存在意義はそんなものです。お互い、孤独なのだから」

まわりの音が遠のいていくのを感じた。意識が遠のく、静かな心地が私を包み込んでいた。遠くに、関の声が聴こえる。ただ、それすらも遠のき、悦楽に近い心地よさに私は包まれていた。

…………。
……きなさい……。
……起きなさい。
「起きなさい。内藤クン」

気が付くと、私は暗い車の後部座席にいた。隣にいる関は私の肩に手をのせていた。
「よく眠りましたね。店主にきいても君の家がわからないというから私の家に向かっているのですよ。とくに大事な用事はなかったかな?もうすぐ着きますが。」
運転席では運転手が寡黙に運転していた。レース編みのカバーがついた柔らかい座席に、音もなければ振動も少なく、冷房の効いた車内。

「……すいません。はい。大丈夫です。とても、ありがたいです」
「ははは。内藤クンは正直ですね。ほら、もう見えてきました。降りる準備をしてください」

程なくして、車はゆっくりと停車し、扉が開いた。外に出ると、まわりは木々が生えた森で、目の前には煉瓦で組まれた二階建ての立派な邸宅があり、邸宅の玄関横に控えていた老いた紳士が扉をあけて、笑顔でこちらを見ていた。

「私の家です。入ってください。」颯爽に家の中に入っていく関に、私は速足でついていった。
入ってすぐはエントランスホールで、邸内厳かな間接照明で彩られ、どこか落ち着く造りだった。私は、ホールから入ってすぐの奥の部屋に案内された。賞状やトロフィーなどが飾られている。応接間だろうか。関はソファーに腰かけて、空いている隣をポンポンとたたいた。私は懐いた子犬のように従順に隣に座ると、関は肩に手をまわして、一息ついた。

「私の家は気に入っていただけましたか?」
「はい。とても。このような邸宅に入った経験は、今までありません」
「経験……。そう、内藤クン。すべては経験なのですよ。私は経験を欲しています。小説家として、多大なる経験を。」関はそう言いながら、私の頭をやさしく撫でていた。まるで、性に夢を見る思春期の処女のように、心がなぜか高鳴っていた。
「……経験、ですか」私の小さい声は、室内に響いた。時計の針の音が、静かに室内を駆け巡る。
「そうです。経験です。私は……小説家として、刺激を欲しているのです。その刺激とは、要は経験です。ただ、私ではもう、それを味わいきれなくなったのです。目も、舌も肥えてしまいまして」関は寂しそうな顔をすると、私のほうに顔を向け、耳に口を近付けた。心なしか、私の息は荒く、関の吐息を耳で感じていた。「内藤クン。君は自分でおもっているよりも、美青年だ。ただ、君は私がどうこうしてはいけない。君の白い肌を触れて、そのまま胸倉から手をいれることもできるが、それを私はしてはいけないのです」まとわりつくような言葉に私は意識が朦朧としていた。「どうして……ですか……?」関は私の返答があらかじめ知っていたかのように、耳にキスをすると顔を放した。
「お金に困っているのでしょう。少し、頼まれてはくれませんか。とある方にあっていただきたいのです。あなた自身、悪いことはおこらないとおもいますよ」そういうとソファーから立ち上がり、部屋の隅にあるウォルナット調のチェストから封筒を取り出して、足早にソファーに戻ってきた。

「内藤クン。中を見てみなさい。」そう言い、封筒を私の手の中に握らせた。私は分厚い封筒に恐怖心を抱いていた。
関から受けた誘惑の興奮も醒めないなかで、封筒を受け取りながら、頭は朦朧から恐怖と混乱に代わっていた。「…………こんな、こんな大金……。え……?」私は思わず、関の顔をまじまじと見てしまった。そのときの関は無表情だった。「そこには100万円がはいっています。そのお金があれば、どのような夢も叶うでしょう。最新の高級車だって買えますし、なんなら、10年くらい遊んで暮らすことができます。」薄っすらと浮かべた笑みに、私はより恐怖心が芽生えた。私の怖気づいているのがわかったのか、関は私を抱き寄せて、腰に手を当てた。「……私は、君がなろうとしているものの願いを叶えてあげたい。それが本分です。あなたにやっていただきたいことは、とある方に会うだけです。そうすれば、そのお金も差し上げます。それに……」関は私をより強く抱きしめながら腰から、首元に手を流した。「内藤クンともまた会いたいのです」私は息荒く、関を強く抱きしめていた。このまま、どうかなってしまってもいいとすら思う。関は私を優しく放すと、じっと私の目を見張った。私は恍惚とした顔で関を見て、手にもたされている封筒を見た。

「関さん。やらせてください。私でよければ、きっとお力になれます」

関は無言で私の頭をなでていた。部屋には静寂が流れていたが、そこに言葉は必要なかった。

「では、内藤クン。隣の部屋にいきましょう。」

関に手をひかれ、部屋の奥にある大型のクローゼットの中に入っていった。身体で布が触れ合う感覚を覚える。そして、暗い部屋に出た。窓はなく、時計の音が不規則に鳴り響く暗い室内。気が付くと、関はいなかったが、封筒は手にもっている。暗い室内で目をこらしていると、ぼうっと室内の一点に明かりが灯った。そこには木製の椅子が縄で吊るされていた。その横には、どこか見覚えのあるスーツを着た老いた男性がいた。

「……内藤クン。申し訳ない。ただ、私にはこうするしかないのです。」

頭の理解が追い付いていないなかで、その老人は私の服を脱がし、私を誘導して椅子に座らせた。椅子は、ブランコのようにゆらゆらと揺れている。揺れる度に、何かを一つ。また一つ忘れている気がした。遠い昔から今に至るまで、一つ一つ。老人はゴツゴツした手で、私の身体を丁寧に拭いていたが、目には涙を浮かべているように見えた。理由は、よくわかなかった。

「……あれ。私は…………。」

暗闇のなかで、ただ一点、椅子が揺れていた。